いちごみわdiary

アラフィフ。シンプルな暮らし。夫と大学生の息子、脳幹腫瘍で旅立った娘。訪問看護の仕事。楽しい習い事。子宮筋腫など。

清正公祭が大分で伝承されている理由

みなさん、こんにちは!

最近は、朝晩は涼しくなってきましたが、日中はまだまだ暑いですね。

さて、先月8月26日に、大分市野津原町で伝承されている清正公祭りがありました。 

コロナで3年ぶりでした。

清正公祭りとは、肥後(熊本)の藩主が、参勤交代の時に野津原町を宿場町にしていたとの事で、毎年8月23日に行われています。

今年からは、土曜日の方が皆が集まりやすいとの事で、26日土曜日に開催されました。

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御神輿、山車、獅子、御神楽など。

高齢化が進んでいますが、町内の方々が、準備をしているお祭りです。

地元出身の方は、とても楽しみに帰省されている様子を見てきました。

わたしは、父の実家である野津原町には、住んでいないのですが(父が転勤族だったので)子供の頃から我が家の恒例行事として行っていました。

祖父母宅に親戚家族中が集まり、ご馳走を食べて、子供心としては、祖母から1000円をもらい、出店で好きなものを買うということが楽しくてたまらなかったんです。

今は、両親が住んでいるので、清正公祭りの準備の手伝いが少しでも出来ればなという気持ちです。

今年、夫が、ふとこんなことを、言うのです。

夫「昔から続いていて、清正公って熊本の藩主だけど、大分の藩主は嫉妬しなかったのかなあ」と。

それで、調べてみると、加藤清正公が野津原町を領地としていたこと。

そのため、熊本藩の参勤交代のメインルートとして熊本〜大津〜阿蘇を経て、大分の久住〜野津原〜鶴崎港に達し九州を横断していたようです、江戸に行くまでの通り道で、宿場町として利用していたことが分かりました。

野津原町は、飛地であるということ。

当時は熊本(肥後藩)だったんだ!ということが分かりました。

歴史を紐解くと、加藤清正公(1562〜1611)が亡くなってから、参勤交代が始まっている(三代将軍徳川家光1635〜)ようです。

清正公が亡くなってからです。

それでも、加藤清正公は、せいしょこさん!と祖母が言っていたのを覚えているのですが、よく慕われている肥後熊本初代藩主なんですね。

野津原町だけではなく、大分では鶴崎祭りというお祭りも盛んで伝承されていますが、それも同じ理由のようです。

日本全国、伝承され続けているお祭りたくさんありますが、調べてみると面白そうですね。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました♡